2006年09月29日

100%の恵みどう使いますか?@

■宇宙に充満する無限のエネルギーって何?

一口に「宇宙に充満する無限のエネルギー」と言ってもあまりに抽象的で捉えがたいものがあります。

果たして「宇宙エネルギー」って何でしょう?

これははっきり言ってまだわかっていません。なぜなら、目に見える科学的観察法に慣れている私たちにとっては、目に見えない次元のエネルギーは捉えることができないからです。

ただ、「宇宙エネルギー」だからと言って、別に宇宙の彼方遠くにあるエネルギーではありません。

すべて「在る」ものを成り立たせている根源的なエネルギーということで、これは私たちの内にも外にも、地球にも宇宙にも遍く存在しているエネルギーと言えます。

我々はこのエネルギーなくしては存在できません。
zu101.JPG

そういった意味で私達は、常にこの「宇宙エネルギー」を100%受け取っていることになります。どんな人であろうと、どんな物であろうと、すべて平等にです!

すべての人がこの「宇宙エネルギー」を100%受け取っているとしたら、何かすべての人は超人のような気がしますが、実際すべての人は、超人であり、天才であり、完璧な存在なのです。

では、なぜ私達は見るからに超人や天才や完璧ではないのでしょう?

これが、今回のテーマ「100%の恵みどう使いますか?」になります。

■エネルギー消費の3つのカテゴリー

天才と普通の人の差とは何でしょう?

これは単純に100%の宇宙エネルギーを何%自分の夢や自己実現に使うかという差になります。

以下の図を見てください。
zu100.JPG

まず左の普通の人のエネルギー消費グラフを見てみましょう。

@精神的消費

さて、これは所謂「信頼」の欠如といいます。
つまり、「宇宙的なエネルギー」を信じなかったり、自分は守られていない、愛されていないといった疑心や大いなるものへの不信感は、折角の100%の恵みを自らに拒否してしまいます。

このカテゴリーは、「消費」というか、はなから「受け取らない」わけです。でも、だからと言って、すべてを受け取れないわけではありません。「不信感」なんてものは、つまりは表層の意識なので、深いところでは、やはり「信頼感」は誰にでもあるのです。ただそれに気づいていないだけなのです。

ですから、このカテゴリーで失う「宇宙エネルギー」は30%ぐらいとしておきましょうか。

A社会的消費

このカテゴリーは、既成の社会体制や社会規範に自分を合わせていくことで起こるエネルギー消費を言います。他者との関係も含みます。いわゆる「ストレス」というものに代表されます。

単純な話、「朝起きれないのに、会社へ行かなくてはならない」といった、「起きたくないという願望」と「会社へ行かなくてはならないという社会的義務感」が葛藤を起こすことによるエネルギー消費ということになります。

これは「あの人を許せない」とう怒りや「上司から認められない」というような不安、「この社会をもっと良くしたい」などの不満など外界との葛藤すべてに当てはまります。

これもとりあえず30%の消費率としましょう。

B身体的消費

さて、3番目は身体的な消費率です。これは一番大きいのは食べ物です。人間の身体に合っていない不自然な食べ物、体調に合っていない陰陽バランスの欠いた食べ物が体に入ると、それを消化するためのエネルギーが大量に必要となります。

休みたいときに休めないなどの身体的な声を無視することもエネルギーを消費する原因となります。

これも、30%の消費率としておきましょう!

さて、残ったエネルギーはやっと私たちの夢を現実化のために使えます。
何%ぐらいかな♪

じゅ、10%ォ〜!!

<次回へ続く>


posted by anubis 22 at 09:25| Comment(5) | TrackBack(1) | ■日々のコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月27日

レイキとマクロビオティックの不思議な関係<後編>

さて、里真と如一二人の出会いはまさに偶然であり、必然でありました。

「江口のところへ旧知の桜沢如一が現れ・・・」

とありますように、江口俊博と桜沢如一は以前からの知り合いでした。
実はこの二人、明治の食養家石塚左玄の孫弟子にあたる兄弟弟子であったのです。

※二人は左玄の弟子後藤勝次郎の弟子にあたるそうです。

ゆえに、江口式レイキでは「手のひら治療」に先立つものとして、石塚式食養の重要性が説かれました。つまり、治療する側も治療される側もまず、食養を実践することで、手のひら治療の効果が増幅されるとしたのです。

そんな訳で、江口の元へ旧知の桜沢が現れることによって起こった里真さんとの出会いはある意味必然であったのでしょう。

その後、里真さんは桜沢の食養指導により、健康を回復していきます。しかし、同時に江口式レイキの実践者としても活躍しました。

桜沢の著作に、しばしば「里真に手を当ててもらった」とか「インドで里真は食養の料理と手のひら治療でみなを驚かせた」などと出てきます。

また、故大森英櫻先生は、食養も手当て法(生姜シップなどの植物による)も出来ない時、手のひら治療をすると仰ってました。詳しく聞くと、「右手を患部に当てて、左手を床に置いてアースする」と仰ってました。
これはまさに江口式レイキの手法であり、おそらくは里真さんから伝授してもらったものだと思います。

■食べ物は手段?

現代では、まだまだ怪しげだと思われがちなレイキという手のひら療法は、実は桜沢先生の時代では、マクロビオティックと思いのほか親和性を帯びていました。

これは、「食べ物が全て」という最近のマクロビオティックの考え方からすると少し違和感を感じる方もいるかもしれません。

しかし、桜沢先生において、レイキとマクロビオティックはなんら矛盾するものではありません。

 われわれの精神は全体なのである。肉体は、その部分にすぎないのである。われわれの肉体は、ちょうどラジオの受信機のようなものである。それは全宇宙に充満している電波の一部を受けて物語るのである。
 食物とは、電波と同じ材料の、一種のエネルギーではあるが、それは、この小さな受信機を働かせ、真空管をあたためる電流なのである。また、この受信機を組み立てている材料が食物なのである。この材料の性質いかんによって、われわれは全宇宙の三つの広がり(ダイメンション)―すなわち「長さ」、「幅」、「高さ」と、今一つの広がりである「時間」の中に流れている電波を、あるいは多く、あるいは少なく受信するのである。


『食養人生読本』(桜沢如一著 日本CI協会 1938年)より


つまり、桜沢先生にとっては食べ物は、その電波(宇宙エネルギー)を最大限に受け取る為の受信機能を最適に保つための手段だったのです。

レイキもマクロビオティックも「宇宙に充満する無限のエネルギー」を活用して行くという主眼においてなんら矛盾しません。

その為の食べ物であった訳ですから・・・。

この頃のマクロビオティックは故に、「宇宙に充満する無限のエネルギー」の活用を根本原理とするあらゆる療法や哲学をに対して広い理解がありました。

アーユルヴェーダを日本に紹介したのも、この当時いち早くホメオパシーに言及したのも、当時では珍しくルドルフ・シュタイナーを評価したのも、桜沢先生だったのです。

もちろんヨーガに対する理解もしかりです。というか、当時の自然療法(今でいうヒーリング)の世界の総元締めみたいな人だったのです(笑)。

■レイキとマクロビオティックの共時性

伝統レイキの創始者臼井甕男と桜沢如一が直接関わったことはなかったみたいですが、レイキとマクロビオティックがその後、日本ではマイナーな分野へと押しやられてしまったの対し、世界でこの日本生まれのヒーリング・メソッドが高く評価され、地球規模のスピリチュアル・ムーブメントに多大な影響を与え、そして日本に逆輸入されると言った共通性はまさにシンクロ二シティーと言っても過言ではなさそうです。

それは両者とも「宇宙に充満する無限のエネルギーの活用」といった宇宙規模の視点に根ざした療法であり哲学であったからなのでしょう。

日本で生まれ、世界を飛び回り、そして今日本に再び戻ってきたレイキとマクロビオティックというブーメランが今後、日本を舞台にどんな親和性を見せてくれるか楽しみです。

<参考文献>
『食生活の革命児 桜沢如一の思想』(松本一郎著 地産出版刊 )
『手のひらが病気を治す』(三橋一夫著 中央ア−ト出版社刊)
『食医石塚左玄の食べ物健康法』(農文協刊)
『操体法の医学と食養』(田村茂兵衛著 たにぐち書店刊)
『食養人生読本』(桜沢如一著 日本CI協会刊)

2006年09月25日

レイキとマクロビオティックの不思議な関係<前編>

以前、レイキとマクロビオティックの共時性についてちょっと触れましたが、今回はもう少し詳しく検討してましょう。

では、まず昭和51年に出版された『食生活の革命児 桜沢如一の思想と生涯』(松本一郎著 地産出版)から一文を引用します。

 病弱なリマは毎月四日か五日間東京恵比寿の江口俊博の元へ通っていた。江口は“たなすえの道”といわれる手のひら療法の大家で、人間の手のひらからは、誰でも電気が出ており、修行するとよく出るようになる、その電気を患部へ当てると治る、というのである。江口はそのころ体重30`くらいまでやせていたリマを見て「こんなに弱くてよく生きている」といいながら治療に当たった。
 ある日、江口のところへ旧知の桜沢如一が現れ、リマは「食養会の桜沢先生です」と紹介された。昭和11年のことである。


文中の「リマ」は後に桜沢如一の妻となる桜沢里真さんのことです。これは桜沢如一と里真さんのまさに運命の出会いを描いた場面なのです。

その後、桜沢先生と里真さんは二人三脚で近代マクロビオティックの確立に情熱を傾けたことを考えると、この出会いこそがマクロビオティックの夜明けだったのかもしれません。

さて、この出会いの場を提供した文中の手のひら療法の大家と言われる「江口俊博」とはどんな人物だったのでしょうか?

■「手のひら治療」の創始者である江口俊博

eguti150.jpg 江口俊博(1873〜1946)

昭和初期に一大旋風を巻き起こした「手のひら治療」の創始者である江口俊博は実は元々「臼井式霊気療法(伝統霊気)」の門下生でした。

昭和2年、江口氏55歳の時、臼井式霊気療法それ自体は、天然自然に備わる手のひらの力を発揮させるものであって、タダでいただいている手のひらパワーに対して、どうして法外なカネを取るのかと当時のと臼井式霊気療法を批判し、独立して無料で行う「手のひら治療」を主張しました。

※レイキでお金を取るかという問題は、様々な考え方があるのでまた別の機会に書きますが、昭和2年というともう臼井先生も亡くなられているので当時の臼井式霊気療法にも若干の問題があったのかも知れません。

とはいえ、昭和初期に一大ムーブメントを起こした江口氏の「手のひら治療」も源流は臼井式霊気療法だったことは間違いありません。現代では「手のひら治療」を江口式レイキと呼ばれることもあります。

そんな訳で、江口式レイキである「手のひら治療」を受けに来ていた若き日の桜沢里真さんは、桜沢如一に偶然が必然か出会うことになります。

<後編に続く>











2006年09月24日

サトルマクロ的時空間覚書

WS000005.JPG

今日は時空概念のサトル・マクロ的な解釈にチャレンジしてみました。

分かりやすく書こうと思ったのですが、結局小難しくなってしまったので、興味がない方はお飛ばし下さい。

■なぜ私たちの世界には時間や空間が存在するのか?
■昼と夜の二元性
■二元性という幻想が、今の現実を作りだしている
■桜沢如一が願ったもの

本文はこちら

2006年09月17日

時間と空間のこと

先日、ある集まりで「2012年に何が起こると思いますか?」と質問されました。

2012年といえば、その年の12月22日(23日)にマヤ歴が終わっていることをはじめ、様々な古代の預言者が地球の終焉を予言している年ですね。

特に最近、今の時代の状況に納得いかない人達は、現代文明の崩壊とともに心のきれいな人だけが生き残り、新しい時代が築かれるなどの終末待望論から、2万6千年周期のフォトン・ベルトの影響により、半霊半物質の世界が到来する(アセンション論)など、ネガティブなものからポジティブなものまで様々な視点から論じられています。

さて、私はどう思うかと言うと・・・

単純に「マヤ暦」が終わるという事から、「時間のなくなる日」ただそれだけだと思ってます。

正確に言えば人類の意識から「時間」という観念が薄れるということ。

つまりカレンダーがいらなくなるんですね。だからマヤ暦は終わっているんです。だって必要ないんだもん(笑)

ただ、この「時間の観念(拘束)」から意識が解放されるということは、現実レベルでものすごいことなんです。

それを知るためには、まず「時間と空間」の関係を考えなくてはなりません。

時間と空間は一対です。これは陰陽の関係にあります。時間が無ければ空間はないし、空間が無ければ時間はありません。

つまり「時間の観念」が無くなるということは、「空間の観念」も無くなるということなのです。

実は私たちはもう既に時間の観念が崩れ始めています。インターネットやモバイルの登場で、瞬時に想念を遠くに伝えることができます。つまり「送り手」から「受け手」に発生するはずの「時間」が無くなっているのです。

これは同時に「送り手」と「受け手」の「距離(空間)」も縮まっていることを意味します。

今東京で、北海道の鮭が食べたいと思えば、明日には食卓に上っているのです。これは江戸時代の人からすれば魔法です。瞬時に出現したとしか思わないでしょう。

インターネットは時間を無くし、クロネコやペリカンが同時に距離を縮めているのです(笑)

思ったことが瞬時に現実化する時代。インターネットやモバイルはまさにその練習をしているようなものです。

今東京で、北海道の鮭が食べたいと思います。さて次の日になって、やっぱり蟹が食べたいなぁと気が変わってもその日には、もう鮭が届いているのです!

つまり、想念が常にクリアな人は常に自分の思いどうりの世界を体験しますが、想念が曖昧な人は、常に混沌とした世界を体験するようになります。(今でもそうなのですが・・・)

さて、2012年の「時空間の拘束」から外れるということは、インターネットの比ではありません。インターネットは自動車教習所のようなものです。

その時、地球はどうなるでしょうか?

それは、私たちの思い描くイメージ次第ということになりそうです。
posted by anubis 22 at 14:40| Comment(10) | TrackBack(0) | ■日々のコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

多次元マクロビオティック

夏も終わりやっと秋っぽくなってきた今日この頃、ふとこのブログを開いてみると季節に取り残された「海の家」のような寂しさを感じてしまい、思わずキーボードをたたき始めてしまいました(笑)

今日は、あるイベントのマクロビオティックの講演で、知人に質問されたことについてちょっと記述しておきます。

■マクロビオティックは矛盾している?

マクロビオティックは一方で「あれ食べちゃダメ、これ食べちゃダメ」と言っているのに、一方で「世の中の全ては陰陽で成り立っていて、一つとして無駄なものはない」と言う。一方で否定して、もう一方で否定してはいけないというのは矛盾しているのではないか?

まさに的を得た質問だなぁと思いました。
この問題は、多分「今のマクロビオティック」には「次元」という観念が抜け落ちているところに起因します。

これを海と人でたとえて見ましょう。

@海で溺れている次元
A泳ぎを学んでいる次元
B海の全てを受け入れ、泳ぐこともなく浮いている次元

例えば海で溺れている人に、
「全てを受け入れて、力を抜いて海に身を任せなさい」
といってもなかなかそうはできないでしょう。

海で溺れている人にはまず、泳ぎ方を教えてあげるのが得策です。それには一定の規則性と体の動かし方を学ばなければなりません。そこには「こっちに動かしてはダメ、あっちに動かしてはダメ」というような言い回しが出てくるかもしれません。

泳ぎ方をマスターしたら、その人はどこへでも自分でいけるようになります。その人は自分の望む場所へがむしゃらに泳ぎ続けるようになります。ここは嫌だ、もっと理想の場所へ行こうと。

しかし、どこへ泳ごうと海は海であることに気が付きます。

ここでやっと「全てを受け入れて、力を抜いて海に身を任かせる」次元に到達します。

「泳ぐこと」=「選ぶこと」=「今のマクロビオティック」を手放し、すべては陰陽の海と悟り、海と一体となること。

この次元でこそ、「否定」も「肯定」もない「中庸」の意識状態を実現することができます。

つまり、この状態も「マクロビオティック」(私はこの状態をサトル・マクロビオティックと定義しています)の範疇に入れるのであれば、Aの次元とBの次元には全く矛盾した言い回しができてしまうのです。

この次元もまた、陰陽の法則で成り立っています。

@「陰」→A「陽」→B「陰」

ですから、「溺れているのに気が付いていない人」と「全てを受け入れて、泳ぐことを手放した人」は同じ陰性を有しているので、この二人を「Aの陽性な次元」で眺めると一見同じように見えることもあります。

ただ次元が違うのです。

陰陽は横軸だけでなくて、縦軸にもあるのでしょうね。

ちなみにAの次元では「溺れているのに気が付いていない人」にわざわざ「あなたは溺れてますよ」と言いたくなってしまいます(笑)

でもBの次元になると、「溺れているのも全てその人の自由、もし泳ぎ方を学びたいなら教えてあげましょう」とその人の自由意思をまず尊重します。なぜならBの次元にある人は全ての人が「自由人」であることを知っているからです。

:ここで言う「次元」は人の価値としての高低を言っているのではありません。ですから@だから価値がないとか、Bだから偉いとかという事ではありません。色んな次元が同時に存在するから、私たちの世界は豊かで可能性にあふれているのです。全ての次元は神様が許しているからこそ存在する。どれを選んでいくかはその人の自由なのですね。これを「多次元マクロビオティック」とでも呼びましょうか(笑)
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