2007年04月30日

高次のリアリティーを捉える

レイキはハンドヒーリングのメソッドではありますが、レイキの醍醐味は様々な生活の場面に応用することだと私は思ってます。

レイキとはある種の高次のエネルギー源です。そのエネルギー源に常につながる意識をして生活をすると、日常のリアリティーが全く違うものに見えてくることがあります。

■現実の本質とは無限のレベルがある

私達が見ている現実とは、一見すると一つにしか見えませんが、実際は無限の現実が層を成して多次元的に存在しています。

多次元に層を成す現実


これらの多次元的現実のどの層に合わせるかは、観察者の視点、つまり観察者の波長に共鳴する形で体験することになります。

量子力学の世界観をスピリチュアルな世界に持ち込むことは、ある意味誤解を生みやすいのですが、量子の振る舞いが観察者の影響によって決定されるというわれる不確定性原理にも似たところもあるかもしれません。

これは私がレイキを始めた頃よくやった実験ですが、仕事場で物凄く怒ったクレームの電話を受けてしまった時、一旦「お調べいたします」と切ってから、電話や自分にレイキをしてから再び電話すると、先程とは別人で穏やかな本人が電話口に出てくるといった経験をよくしました。

これは、私の波長そのものが、クレームをしてきたお客さんの怒りやイライラという低次の波長と共鳴しあっただけですので、レイキと言う高次の波長に戻してあげることによって、同じお客さんの高次の状態と今度は共鳴することが出来るのです。

つまり、そのお客さんは低次の現実も高次の現実も全て無限の層をなしている。結局そのどこにアクセスするかはこちらの経験者の観察する波長によって決まるといえるのです。

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「そんなバカな〜」とお思いになる方も多いと思います(笑)
試しにいわれのない嫌な経験をさせられた相手に「感謝」や「祈り」をしてみてください。一瞬の内にして、その人の全く違う面を経験するかも知れませんよ!
「感謝」や「祈り」はレイキと同様、高次の波長に自分を合わせる波動調整のツールでもあるのです。

■多くの人たちが合わせる集合的現実が「一つのリアリティー」と感じる

そうは言っても「現実って歴然としてあるじゃないですかぁ」と仰る方がいると思います。

確かに新聞やテレビのニュース、大衆雑誌などには、動かしがたい現実があるように思えますし、実際に社会や法律だってあるわけですね。

しかし、それらは現実の一側面でしかありません。

ただ、多くの人たちが同意しているがゆえに唯一の動かしがたい現実と感じているだけなのです。

これが、「集合的意識としての現実層」と言うことになります。最初の図の真ん中の層です。

つまり、これがとても大切です。
今ある私達の歴然とした地球の現実は、現実として決定的にあるのではなく、多次元的な現実の層から私達の多くが「選んでいる」ことによって成り立っている(より現実的と感じている)のです。

■集合的現実層を選ばないという生き方

これは反発される方も多いと思いますが、その集合的現実層に働きかえれば働きかけるほど、その集合的現実はパワーを増します。

つまり「反対しよう」と「賛成しよう」、その現実層に波長を合わせている事には変わりはないのです。

抵抗や反対すれば、よりその現実に力を与えている事にある意味なります。

では、その直面する現実が自分にとって不本意なものであるならば、また、その現実に抵抗や反対をすれば、なおその現実を増幅するとなればどうすればよいのでしょうか。

これは、先程のクレームの電話の例と同じく、一回切って、波長を変えて現実を選びなおすという事。

つまり、この集合的現実層に波長を合わせずに、もっと高次の現実層に合わせて生きるということになります。

多くの人がこの現実を選びなおせば、集合意識の現実層も自ずとシフトアップします。

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日常生活でレイキを活用するということは、瞬間瞬間の創造を高次のエネルギーと共に行うことになります。

つまり、その人は今までの集合意識の現実層とは違う現実を見るようになります。

そして、多くの人が日常の中で新しい現実を創造するようになれば、地球の集合意識的現実層はその新しい現実にシフトアップすることになるのです。


これが、レイキのプラクティショナーの本質的な役目でもあるのです。だから、レイキの醍醐味は単にヒーリングをするだけでなく、日常の創造を常に高次のエネルギーで行い、より高次の現実を創造すると言うことなのです。

日常の創造とは、もちろんお皿洗いから事務仕事も含めます(笑)
そして、もちろん同じように高次のエネルギーに波長を合わせる方法はレイキ以外にも無限にあります。

2006年09月27日

レイキとマクロビオティックの不思議な関係<後編>

さて、里真と如一二人の出会いはまさに偶然であり、必然でありました。

「江口のところへ旧知の桜沢如一が現れ・・・」

とありますように、江口俊博と桜沢如一は以前からの知り合いでした。
実はこの二人、明治の食養家石塚左玄の孫弟子にあたる兄弟弟子であったのです。

※二人は左玄の弟子後藤勝次郎の弟子にあたるそうです。

ゆえに、江口式レイキでは「手のひら治療」に先立つものとして、石塚式食養の重要性が説かれました。つまり、治療する側も治療される側もまず、食養を実践することで、手のひら治療の効果が増幅されるとしたのです。

そんな訳で、江口の元へ旧知の桜沢が現れることによって起こった里真さんとの出会いはある意味必然であったのでしょう。

その後、里真さんは桜沢の食養指導により、健康を回復していきます。しかし、同時に江口式レイキの実践者としても活躍しました。

桜沢の著作に、しばしば「里真に手を当ててもらった」とか「インドで里真は食養の料理と手のひら治療でみなを驚かせた」などと出てきます。

また、故大森英櫻先生は、食養も手当て法(生姜シップなどの植物による)も出来ない時、手のひら治療をすると仰ってました。詳しく聞くと、「右手を患部に当てて、左手を床に置いてアースする」と仰ってました。
これはまさに江口式レイキの手法であり、おそらくは里真さんから伝授してもらったものだと思います。

■食べ物は手段?

現代では、まだまだ怪しげだと思われがちなレイキという手のひら療法は、実は桜沢先生の時代では、マクロビオティックと思いのほか親和性を帯びていました。

これは、「食べ物が全て」という最近のマクロビオティックの考え方からすると少し違和感を感じる方もいるかもしれません。

しかし、桜沢先生において、レイキとマクロビオティックはなんら矛盾するものではありません。

 われわれの精神は全体なのである。肉体は、その部分にすぎないのである。われわれの肉体は、ちょうどラジオの受信機のようなものである。それは全宇宙に充満している電波の一部を受けて物語るのである。
 食物とは、電波と同じ材料の、一種のエネルギーではあるが、それは、この小さな受信機を働かせ、真空管をあたためる電流なのである。また、この受信機を組み立てている材料が食物なのである。この材料の性質いかんによって、われわれは全宇宙の三つの広がり(ダイメンション)―すなわち「長さ」、「幅」、「高さ」と、今一つの広がりである「時間」の中に流れている電波を、あるいは多く、あるいは少なく受信するのである。


『食養人生読本』(桜沢如一著 日本CI協会 1938年)より


つまり、桜沢先生にとっては食べ物は、その電波(宇宙エネルギー)を最大限に受け取る為の受信機能を最適に保つための手段だったのです。

レイキもマクロビオティックも「宇宙に充満する無限のエネルギー」を活用して行くという主眼においてなんら矛盾しません。

その為の食べ物であった訳ですから・・・。

この頃のマクロビオティックは故に、「宇宙に充満する無限のエネルギー」の活用を根本原理とするあらゆる療法や哲学をに対して広い理解がありました。

アーユルヴェーダを日本に紹介したのも、この当時いち早くホメオパシーに言及したのも、当時では珍しくルドルフ・シュタイナーを評価したのも、桜沢先生だったのです。

もちろんヨーガに対する理解もしかりです。というか、当時の自然療法(今でいうヒーリング)の世界の総元締めみたいな人だったのです(笑)。

■レイキとマクロビオティックの共時性

伝統レイキの創始者臼井甕男と桜沢如一が直接関わったことはなかったみたいですが、レイキとマクロビオティックがその後、日本ではマイナーな分野へと押しやられてしまったの対し、世界でこの日本生まれのヒーリング・メソッドが高く評価され、地球規模のスピリチュアル・ムーブメントに多大な影響を与え、そして日本に逆輸入されると言った共通性はまさにシンクロ二シティーと言っても過言ではなさそうです。

それは両者とも「宇宙に充満する無限のエネルギーの活用」といった宇宙規模の視点に根ざした療法であり哲学であったからなのでしょう。

日本で生まれ、世界を飛び回り、そして今日本に再び戻ってきたレイキとマクロビオティックというブーメランが今後、日本を舞台にどんな親和性を見せてくれるか楽しみです。

<参考文献>
『食生活の革命児 桜沢如一の思想』(松本一郎著 地産出版刊 )
『手のひらが病気を治す』(三橋一夫著 中央ア−ト出版社刊)
『食医石塚左玄の食べ物健康法』(農文協刊)
『操体法の医学と食養』(田村茂兵衛著 たにぐち書店刊)
『食養人生読本』(桜沢如一著 日本CI協会刊)

2006年09月25日

レイキとマクロビオティックの不思議な関係<前編>

以前、レイキとマクロビオティックの共時性についてちょっと触れましたが、今回はもう少し詳しく検討してましょう。

では、まず昭和51年に出版された『食生活の革命児 桜沢如一の思想と生涯』(松本一郎著 地産出版)から一文を引用します。

 病弱なリマは毎月四日か五日間東京恵比寿の江口俊博の元へ通っていた。江口は“たなすえの道”といわれる手のひら療法の大家で、人間の手のひらからは、誰でも電気が出ており、修行するとよく出るようになる、その電気を患部へ当てると治る、というのである。江口はそのころ体重30`くらいまでやせていたリマを見て「こんなに弱くてよく生きている」といいながら治療に当たった。
 ある日、江口のところへ旧知の桜沢如一が現れ、リマは「食養会の桜沢先生です」と紹介された。昭和11年のことである。


文中の「リマ」は後に桜沢如一の妻となる桜沢里真さんのことです。これは桜沢如一と里真さんのまさに運命の出会いを描いた場面なのです。

その後、桜沢先生と里真さんは二人三脚で近代マクロビオティックの確立に情熱を傾けたことを考えると、この出会いこそがマクロビオティックの夜明けだったのかもしれません。

さて、この出会いの場を提供した文中の手のひら療法の大家と言われる「江口俊博」とはどんな人物だったのでしょうか?

■「手のひら治療」の創始者である江口俊博

eguti150.jpg 江口俊博(1873〜1946)

昭和初期に一大旋風を巻き起こした「手のひら治療」の創始者である江口俊博は実は元々「臼井式霊気療法(伝統霊気)」の門下生でした。

昭和2年、江口氏55歳の時、臼井式霊気療法それ自体は、天然自然に備わる手のひらの力を発揮させるものであって、タダでいただいている手のひらパワーに対して、どうして法外なカネを取るのかと当時のと臼井式霊気療法を批判し、独立して無料で行う「手のひら治療」を主張しました。

※レイキでお金を取るかという問題は、様々な考え方があるのでまた別の機会に書きますが、昭和2年というともう臼井先生も亡くなられているので当時の臼井式霊気療法にも若干の問題があったのかも知れません。

とはいえ、昭和初期に一大ムーブメントを起こした江口氏の「手のひら治療」も源流は臼井式霊気療法だったことは間違いありません。現代では「手のひら治療」を江口式レイキと呼ばれることもあります。

そんな訳で、江口式レイキである「手のひら治療」を受けに来ていた若き日の桜沢里真さんは、桜沢如一に偶然が必然か出会うことになります。

<後編に続く>











2006年06月06日

行や訓練・努力はいらない?

天の氣
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地の氣

人体のエネルギー構造を考える上で、竹が参考になることは方々のブログで書いています。

つまり、直立した筒状の入れ物には「天の氣」と「地の氣」を受け取りやすいという事…。

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エネルギーは地球の中心へ降り注ぎ(天のエネルギー)、中心から再び宇宙へ拡散(地のエネルギー)します。地球上に直立できるということがこの二極のエネルギーを最大限に受け取る前提になります。
※ちなみに「氣」の中の「米」という字はこの図を表しています 。



身体が竹のような筒状の形態をしている人間は自然と調和して生きているかぎり、宇宙的なエネルギーである「天の氣」や躍動する「大地の氣」をもともと受け取れるシステムになっています。

そして、取り入られた二極のエネルギーがハートの中心で交わり、全身に広がっていきます。
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全体に広がった調和したエネルギーは、身体の出力系である「手」を通して体外へと放出されます。この完璧なエネルギーが「手」に創造力を与えます。私たちの「意図」という設計図がこの創造力というエネルギーに反応して外界にものを創り、または、不調和なものに調和(ヒーリング)をもたらします。

すべての人間にはこうした完璧なシステムが備わっています。
しかし、私たちは近代的な教育によって、この人体の自然なシステムから遠ざかる努力や訓練をしています。

勉強や訓練、努力は逆説的に「人は不完全な存在」であるという心理を増幅させるかもしれません。

もし、すべての人が完璧な存在であったら…
もし、すべての人が生まれながらに天才であったら…

完璧になるために行や訓練、努力をする必要はありません。

行や訓練、努力は好きなことをする時にとっておきましょう!



2006年03月15日

巫女と審神者

本来、巫女とは、天と地をつなげる存在でした。
見えない天のメッセージやエネルギーを受け取る器(チャネラー)です。

ところが、巫女自身はそのメッセージを受け取るだけで、解釈は出来ません。

そこで、そのメッセージが人民にとって有効かどうか、論理的、思考的に判断解釈する存在が必要です。

これを審神者(サニワ)と言います。

巫女 =女性的、直感的、右脳的、陰性
審神者=男性的、論理的、左脳的、陽性

つまり、巫女である女性が天や自然の声(メッセージ)を捉え、サニワという男性が、その声を一般の人民にも理解できるような言葉に翻訳し、人々に伝える。

これが本来の「マツリゴト(政)」=天の声を祭ることでした。

このマツリゴト(政)で築き上げられる文明は、巫女のメッセージを根源としているので常に、宇宙や大自然と調和した文明となります。これが女性原理文明です。

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ところが、時代が遡るとサニワである男性が力を持ってきます。
男性は、マツリゴトの根源である巫女のメッセージを切り離し、論理性を中心とした政治(セイジ)を行うようになります。

これは生物学的身体レベルでの右脳性(直感性)の切り離しも象徴します。

それにより築き上げられる文明は、徐々にエスカレートして宇宙や自然との調和を欠いた文明へと進んでいきます。

これが現在の我々の文明。つまり男性原理文明です。


男性原理文明においては、巫女に象徴させる女性的、直感的、右脳的で陰性な見えないエネルギーを嫌います。

つまり、理解できない怖さの幻影が、本来高次であるべき『靈』を「幽霊」に代表される低次の影に押し込んでいきます。

「霊」はオドロオドロしいものへと変わっていきます。

シャーマニズムや自然療法の迷信化、魔女狩り、女性蔑視はすべてここから始まります。ナチュラルマジックもかなり影響を受けました…。

<前回の記事>
「「霊」の意味って?」

「霊」の意味って?

「レイキ(Reiki)」と書くと何だかキレイ、でも「霊気」と書くとやっぱり怪しい…

これは『霊』という字に対する日本人の幽霊に代表される怖い、祟られる、冷た〜い気みたいなイメージに反映されているからです。

一方『霊』には、高度な精神性を発達させたマスターを霊的存在といったり、スピリチュアルな時代を霊性の時代、そして人間も霊長類なんて言われます。

そもそも『霊』とはどんな意味があるのでしょうか?

『霊』は本来「靈」と書きます。

   rei1.JPG

これは、巫女が口を開いて雨を受け取っている図が象徴化されています。

rei.JPG


つまり、シャーマンである巫女が農耕に大切な雨期などの自然現象を知るため、天のメッセージや自然の聖霊のメッセージをエネルギーとして受け取っていることを現します。

ちなみに3つの口はシャーマンに必要な三位一体の態度を示します。
(肉体の入口、心の入口、魂の入口の調和=三位一体)

つまり、『靈』とは本来、宇宙や大自然の高次のメッセージであるエネルギーを現します。

ですから、そういった高次の知恵であるエネルギーを受取った人は霊的存在として、人々の進化を導くマスターになるのです。

では、なぜこの「霊」がおぞましいものに置き換えられてしまったのか…。

それは、女性原理文明と男性原理文明の反転という、地球規模のドラマが関わることになります。

<続きの記事>
「巫女と審神者」

2006年03月11日

日本が世界に誇るスピリチュアル・マスターT

usui1.jpg レイキの創始者 臼井甕男

常々、日本が世界に誇るスピリチャル・マスターは2人いると思ってます。
それは、マクロビオティックの創始者「桜沢如一」と、そして霊気療法(レイキ)の
創始者「臼井甕男(ミカオ)」(1865年〜1926年)です。

日本の癒しの分野では色々活躍している方は過去にも現在にもたくさんいますが、
世界のヒーリングムーブメントにこれほど影響力を与えた人は、この2人以外知りません。

そもそもマクロビオティックとレイキは面白い共時性があります。
両者とも日本人が日本で創始した後、現地では忘れ去られ、むしろ世界で認められ
広がりをみせる中、洗練されたかたちで再び日本に逆輸入されるという流れです。

私は、これを日本的精神のブーメラン現象と呼んでいます(笑)


■そもそもレイキって?

一般に言われているレイキというハンドヒーリングは、臼井甕男さんが京都の「鞍馬山」
で21日間の断食瞑想により直感的に得た手当療法で、1944年に臼井靈氣療法学会が
設立され、病気治療として日本各地で実践されていました。

ところが、霊気は日本での広がりというよりは、ハワイを通して全世界に広がり、
ヒッピームーブメントやスピリチュアルムーブメントの影響により、より洗練された
ヒーリングとしての「Reiki(レイキ)」に進化し日本に戻ってきました。

もちろん、日本で脈々と続く霊気の伝統もあります。
マクロビオティック同様、どれが本物かという議論もありますがどんな形にしろ、
ある意味かたちのない精神世界を全世界にとどろかせたという2人のエネルギーは
やはり、宇宙の構造を感得したマスターだからこそなのでしょう。

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京都鞍馬山山中、ここで臼井先生は霊気療法を感得した。
今や世界中のレイキヒーラーにとっては鞍馬山は聖地となっています。


※写真は生徒さんが撮って来てくれたものです。深遠な雰囲気がよく出てますねぇ。

<関連記事>
「日本が世界に誇るスピリチュアル・マスターU」



2006年02月25日

手を当てるということ…

日本語では怪我を治したり、病気を治したりすることを「手当て」と言います。

古代、自然や宇宙の循環と調和した暮らしをしていた人たちは、自然や宇宙に偏在する目に見えないエネルギーを当たり前のように活用していました。

プラーナ、氣、カー、マナ、プネウマ、バラカ

世界中で様々に呼ばれるこれらの生命エネルギーは本来人や物質を成り立たせる根源的なエネルギーです。
ですから、古来の人は怪我や病気といった生命エネルギーの枯渇からくる症状には手を当ててエネルギーを補充することが当たり前の行為でした。

時代が進んで、人が自然や宇宙の循環から切り離された文明を築くと同時に、この生命エネルギーの叡智も忘れられてしましました。

人は怪我や病気を治すのに、物理的な方法を用いるようになり、いつしか「手当て」という言葉もその本来の語義が忘れられ、薬物や外科的な治療を指すようになりました。

そして、私たちは今再びその叡智を思い出そうとしています。
自然に無意識にしていたものを、今度は意識的な叡智のシステムとして…。



2006年02月23日

レイキでキレイ!

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私が「レイキ」というハンドヒーリングのティーチャーになって早3年、その間時代は大きく変わりました。

以前、マクロビオティックという東洋的食養生をベースにした自然療法の世界にいましたが、4、5年前はどうやってその“マクロビオティック”という言葉を隠して普及するかに悩んでいました。怪しい宗教に思われたくない、いかがわしいと思われたくない一心から”玄米菜食”だとか、“穀物菜食”だとか一般的に受け入れられそうな側面を強調して表現したものでした。

ところが、ここ一年で町の本屋さんの平台には、ヨガと並んでマクロビオティックの本があふれるようになり、今やおしゃれなライフスタイルの筆頭にあげられています。

レイキというハンドヒーリングの分野も、ごたぶんにもれず、怪しい、宗教的、いかがわしいと思われがちです。
ところが、世界ではマクロビオティック以上に日本生まれのヒーリングシステムとして認知され、ヒーリングの分野はもとより、ビジネスや医療関係にも幅広く評価を得ています。

ヨガやマクロビオティクといった東洋的健康法(自然哲学)が日本で再評価されるようになった今、レイキというハンドヒーリングもここ数年で一般的なレベルで受け入れられるようになるではないでしょうか!

1年後には『レイキでキレイ!』なんてスピリチャルな美容本が本屋さんの店頭に並んでいるかもしれませんよ(笑)

■このコーナーでは、レイキに代表されるハンドヒーリング及び人体のエネルギーシステムについて紹介していきます。
Anubis 22
illustration by Little Ankh




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