2006年11月15日

マクロビオティックに五行説は必要か?F

さて、怒涛のような忙しさが終わって、やっとPCへ向う時間が出来ました。さぁ今日こそこのシリーズ終わらせるぞ〜。

■大森英櫻と久司道夫の五行的アプローチ

皆さんオレンジページの「マクロビオティックがおいしい」という本を読んだことがありますか?
マクロビオティックが一躍メジャーに押し上げられた記念すべき冊子です。

その本のマクロビオティックの診断法の中に象徴的なページがあります。

「陰陽五行図」とマクロビオティックの「4つの体質」が並んで表示されています。この陰陽五行説の出典は久司道夫先生、4つの体質の出典は大森英櫻先生にあります。

大森先生の「4つの体質」は、陰と陽をそれぞれ「肥大」と「萎縮」に分け4つのタイプに当てはめて体質を判断するシステムです。
実はこれは中央に理想的な健康という「中庸」の状態を持ってくる五行的な考え方から来ています。

五行説には所謂相生相剋の典型的な図だけでなく、4つの季節や4つの方角の中央に「土用」という中庸概念をおいて五行説とする考え方もあります。

yon.jpg

☆季節= 春 夏 土用 秋 冬
☆方位= 東 南 中央 西 北
※ちなみに、色でいえば何故か黄色人種が中庸となってしまします。
☆色 = 青 赤 黄色 白 黒

と言う訳で、「4つの体質」も五行的観点から考えられたシステムであるとすれば、久司先生の陰陽五行説と共に二つの「5」というシステムが偶然にも同じページに並んでいることになります。

注意=久司先生の「陰陽五行説」は古典的な漢方の陰陽五行説とは「陰陽」の考え方が逆です。マクロビオティックの陰陽の考え方に照らし合わせて作りなおされているので混乱しないでね。

■病気治しをしなかった桜沢先生

大森先生がよくいっていました。

「桜沢先生は、実際に病気治しをしなかった。実際に病気治しをするには陰陽だけでは曖昧すぎて病気は治せない・・・」

つまり、大森先生も久司先生も実際に病気治しをするにあたって具体的な診断をするにはどうしても五行的なシステムを必要としたということになります。

「5」という数字は、人体を象徴しています。つまり医療とはいわば、人を支配すること、人をコントロールすること(決して悪い意味で言っているのではありません)。引いては社会を動かすこと。国を動かすこと。陰陽五行説が中国においてもこのようなジャンルに効力を奏した意味はここにあります。(安部晴明が五芒星を駆使するのも同じ意味です)。

一方桜沢先生は「病気は治してもらうものではない」と考えていたようです。

桜沢先生は、内的なバランス感覚を復旧させるために徹底的に自己の内側へ意識を向わせ、第六感(最高判断力)を研ぎ澄ますことが病気が治ることだと考えました。

だから食事は病気を治すための処方箋ではなく、「瞑想」なのです。

そこには「6」という直感的視点が必要でした。そして陰と陽という二つのふり幅の中で徹底的にバランス感覚を養うことがもっとも大切だったのです。

だから陰と陽だけでいいのです。陰と陽という視点をもらったら、後はその浮き輪でバランスをとることを体で覚えなさいと言っているわけです。

これはある意味厳しい突き放し方です。

■7号食という世界

この桜沢先生のシンプルで厳しい突き放しを徹底していくと、「7号食」という考え方が生まれます。

「7号食」とは、玄米とゴマ塩(あるいは穀物だけ)で1週間過ごす食べ方です。これはまさに「食」は「瞑想」であり、その期間実践する人は、否応なく内側へ意識を向けていかなくてはなりません。

さて、果たしてこのような究極的なことが一般的に通用するでしょうか?

特に西洋社会にマクロビオティック運動を広く普及させようとしていた久司先生にとっては、桜沢先生のやり方では究極的でシンプルすぎて、アメリカ人には到底理解できないだろうと思ったに違いありません。

まずは「病気を治してあげたり」「美味しく、見た目にも花やかな食事を作ってあげたり」「東洋の神秘的な自然哲学を教えたり」といった取っ掛かりを作らなくてはなりません。

それには「五行説」というシステムは、病気の診断には有効ですし、「五味五色」を活かした料理は美味しい。何よりも「木火土金水」というサイクルと相生相剋はいかにも東洋の神秘といったような趣きがあります。

そして、大森先生にとっては何より「病気治し」が趣味であり、どれだけ食だけで病気が治せるかが先生のテーマな訳です。

必然、陰陽という二点だけでなく、より人間の身体性に根ざした五点で判断した方が正確に判断できることになります。

■まとめ

結局「マクロビオティックに五行説は必要か?」という問題は、「何を持ってマクロビオティックというか?」という問題に関わってきてしまします。

現在多くの方たちが、オレンジページなどでマクロビオティックを知るということは、やはりマクロビオティックにも五行的システムが必要だという時代の象徴として捉えることが出来るでしょう。

では私といえば、やはり桜沢先生の極論的世界観が好きなのです。
病気治しにも興味持てなかったし、マクロビオティック料理の普及運動にもいまいち積極的にはなれなかった…。

だから、五行的なシステムは自分にとって必要なかったし、あまり興味も持てなかったというのが正直な感想です。

結局結論は出ません。てゆうか、でるわけないでしょッ この話題(笑)

皆さん長々とお付き合い頂きありがとうございました!

やっと終わった〜

【マクロビオティックに五行説は必要か?シリーズ】
@無双原理と陰陽説
A陰陽五行説とは?
B五行説の歴史と謎 
C古代世界と五惑星観
D陰陽説と五行説の観測点の違い
E古典マクロにおける五行説の必要性
Fまとめ

2006年10月28日

マクロビオティックに五行説は必要か?E

「マクロビオティックに五行説は必要か?」というテーマで長々と書いてきましたが、そろそろまとめに入りたいと思います。

桜沢如一は、中国伝統の陰陽説や五行説の複雑化や曖昧さを問い直し、万物を計る尺度としての「陰陽」の概念を明確に示しなおしました。

それが「無双原理」というマクロビオティックの基本理念だったのです。

■無双原理とは?

無双原理とは、陰陽の特質を記述した「無双原理の12の定理」「無双原理図解」という二つの主柱で成り立っています。

桜沢先生はこのシンプルな陰陽の定理だけで、全ての事象を解き明かせると言っています。

【無双原理の12の定理】
1.宇宙は陰陽の秩序をもって展開す。
2.陰陽秩序は無限に、不断にいたるところに生起し、相関交渉盛衰す。
3.求心、圧縮、下降の性を有するものを陽といい、
  遠心、拡散、上昇の性を有するものを陰という。
  (故に、活動や熱は陽から、静かさや冷たさは陰から生まれる)
4.陽は陰を、陰は陽を相牽引す。
5.森羅万象は、あらゆる比例において陰陽両性を荷帯せる宇宙の本体の電子的
  微分子の複雑なる高次元の集合なり。
6.森羅万象は、単に種々なる程度の動的均衡を示す陰陽の集合なり。
7.絶対純粋なる陰または陽なる事物は存在せず、総じて相対性なり。
8.一物といえども中性なるものなし。必ず陰陽多寡あり。
9.森羅万象の相互の引力は、その対者間の陰陽差に比例す。
10.同名の性は相排斥す。同名の性の排斥力はその差に逆比例す。
11.陰極まりて陽生じ、陽極まりて陰生ず。
12.万物その内奥に陽を付帯し、外側に陰を付帯す。


無双原理図解とは、12の定理から導き出される簡易図です。
inyouzukai.jpg

『無双原理・易』(桜沢如一著 日本CI協会刊)より

図の中に五行説で使われる「五味」も記述されています。つまり、五行という観念もこの無双原理で洗い直しているということです。

マクロビオティックの基本原理とは実はこの「無双原理の12の定理」とそこから導き出される「無双原理図解」だけです。桜沢先生はその他の原理は何一つ提示していません。

※その他に「宇宙の秩序」という原理がありますが、これは扱う分野(次元)が違いますので、また後日その構造については説明します。

ですから、桜沢如一のオリジナルマクロビオティック(私はこれを古典落語ならぬ古典マクロと読んでいます)においては、「陰陽五行説」は歴史的な検証の対象にはなるが、原理としての必要性はないと私は考えています。

ただ、それは「古典マクロ」の世界でのお話…。

なぜ、現在のマクロビオティクで陰陽五行説が持ち出されるかと言うと、それはそれだけの魅力があるからだということです。

■陰陽という瞑想

さて、この無双原理…。
果たして、どれだけの人がこの原理のみを活用して、実生活に応用して行けるでしょうか?
前章でも書きましたが、無双原理の陰陽とは言わば「神の視点」=「悟りの視点」なわけです。この原理を頭では理解できても、実生活上で直感的に応用していくということは、まさに「神人一体」の境地といっても語弊がありません。

五色は人の目をして盲(もう)ならしむ。五音は人の耳をして聾(ろう)ならしむ。五味は人の口をして爽(たが)わしむ。
『老子 ―道徳経上編第12章』より

桜沢が影響を受けていると思われる老子は、「五色(ごしき)」「五音(ごおん)」「五味(ごみ)」がそれぞれに交じり合って、様々な色や音楽や料理ができあがり、それらが人々の欲望を刺激して生活をくるわせることになると言いました。

複雑さや混沌が生活をくるわせるのであれば、シンプルな原理を明確化してそれに従えばいい・・・。
私はそんな極端な桜沢先生が大好きなのですが、実際にマクロビオティックを一般の方々に普及したり、指導するには

「シンプルすぎて通じない!!って」

というのが引き継いだ方々の叫びだったのではないでしょうか?(笑)

瞑想が呼吸という呼気と吸気のバランスにあるとすれば、マクロビオティックは食事を中心に全ての生活の中で陰陽のバランスをとるという言わば「動的な瞑想」です。
いきなり、一般の人たちや海外の人たち、病気で苦しんでいる人たちに「神様の視点で瞑想しなさい」なんて言ったって通じる訳がないのです。

そこには、無双原理と複雑な現実的生活を繋ぐ中間点がどうしても必要になってくるのです。

<結局終わらなかった!次回こそ最終回>

【マクロビオティックに五行説は必要か?シリーズ】
@無双原理と陰陽説
A陰陽五行説とは?
B五行説の歴史と謎 
C古代世界と五惑星観
D陰陽説と五行説の観測点の違い
E古典マクロにおける五行説の必要性
Fまとめ























2006年10月22日

マクロビオティックに五行説は必要か?D

五芒星に象徴される「5」を基本とした五行説に対して、陰陽説はどう捉えれるでしょうか。これは、実は桜沢如一のマクロビオティック観に象徴されています。

■陰陽=▽△であらわす訳
inyoukigo2.jpg

桜沢先生は陰陽を上の図のように三角形の上下「▽△」であらわしました。これは「陰」は地の中心からのエネルギー、「陽」は天の中心からのエネルギーを現すとともに、陰陽のエネルギーが調和した状態を次の図にあるような「六芒星」であらわそうとしたからです。
rokuinyo.jpg

陰陽二気が交じり合って、6点が現れます。ここから「2+6」で八卦が求められます。
つまり、易の原理と同じで「六芒星」は「太極図」と同等の意味が込められています。

易的な陰陽説=「六芒星」=「6」の原理
陰陽五行説=「五芒星」=「5」の原理

から成り立っているとすれば、この「6」と「5」の違いとはなんなんでしょうか?

■陰陽説と五行説の観測点の違い

この違いは簡単に言ってしまえは現象の観測点の違いを表しています。
siten.JPG

図の左、陰陽説はいわば人を超えた「神の視点」からの観察に対して、五行説は常に「人の視点」に観察点があるように思えます。

つまり、陰陽説は「六感」という「五感」を超えたインスピレーション(直感)的判断であるからこそ、易は後世になって「当るも八卦、当らぬも八卦」というように占術として発達してきたと考えられます。

一方五行説は「五感」という実感しやすい感覚を大切にした分析的判断であるため、五味、五臓、五穀など人の実感に根ざし、医学や政治術、戦争術、農耕術に利用されるようになってきました。

※ただ、桜沢先生は陰陽説を科学的観点から再評価し、「占術」としての陰陽説をかなり批判しています。しかし、その後ユングを起点としたシンクロニシティー理論やニューサイエンスの分野などから、「占術」を一つの直感科学として新たな心理科学の一分野として認められはじめたり、易とDNAの構造的酷似などで生物化学にも注目され始められていることを考えると、ちょっと桜沢先生の「占術」批判は時代遅れという感じもあるでしょう・・・。

■陰陽説と五行説のメリット・デメリット

易はいわば宇宙論です。むしろ哲学に近いといえます。理論自体はとてもシンプルでわかりやすく、永遠普遍の真理を感得するにはとても有効です。何しろ神様の視点なのですから…。

ところが、複雑で流動的な人間社会で、この陰陽説はあまりにも人間離れしていて実感が伴いません。毎日神様の視点で物を眺めて生きていくことはなかなか出来ません。

そこで、もっと人の感覚に根ざした真理を読むシステムが必要になります。そこで五行説が登場します。

五行説は人間社会、人と関わる自然界、人と宇宙の関わりなど複雑で流動的な現象を記述するのにとても便利なツールとして発展しました。

自然、五行説が中心にあまり実用的でない陰陽説が取り込まれることになります。

ところが、この五行説は人の視点を観察点としているため、時代の変化によってどんどん解釈も変わってきます。そして、その影響で本来永遠普遍であるはずの陰陽説という大前提が曖昧になってきます。

四千年以上の昔、「天」はハジメYinの最大、最高のシンボルと考えられ、「地」はその反対と考えれ、用いられたのです。「天」は無限の空間、ヒロガリですから、遠心性Yinを代表し、「地」は反対に、求心性Yangを代表したのです。その後になって、形而上学者たちが「天」(空)を、この全ての現象やモノの製造者というイミで、最高の神聖、天帝、最大不可抗の力、Yangの代表にしました。オマケニ、それで天、天帝、上帝などというコトバを、太陽と同義語にしてしまったのです。ここに形而上学と形而下学の用語の大混乱のハジマリがあります。
『東洋医学の哲学』(桜沢如一著 日本CI協会刊)より

つまり、桜沢如一は人間が観察点である五行的な視点に重きを置くあまり、本来永遠普遍であるはずの陰陽説までもが混乱していることを嘆いている訳です。

そこでは、桜沢先生は本来あるべき陰陽説を整理し、もう一度この「神様からの視点」から、現象世界を捉えるシステムを確立しようとしました。

それが「無双原理・易」だったわけです。

そして、実感が伴わないという欠点を補う為に「食べ物」というツールを最大限に利用しようとしたところが桜沢先生のセンスだったのでしょう。

<さて、次回は最終回!になるかなぁ?>

【マクロビオティックに五行説は必要か?シリーズ】
@無双原理と陰陽説
A陰陽五行説とは?
B五行説の歴史と謎 
C古代世界と五惑星観
D陰陽説と五行説の観測点の違い
E古典マクロにおける五行説の必要性
Fまとめ










2006年10月16日

マクロビオティックに五行説は必要か?C

ほぼ自己満足型の論文と化してしまってますが(笑)もう少しお付き合いください!

■古代世界と五惑星観

さて、五行説に使われるこの「5」という数字はどこから来るのでしょう?そのヒントとなるのは図形にあります。

gobou.jpg

もう一度上の図を見てもらうと五行説は所謂星型である「五芒星」と深い関係があります。

なぜ「星」のことを「☆」とシンボライズされるのかは、古代の人たちにとって、星とは「木星・火星・土星・金星・水星」という五惑星を意味していたからです。

歴史的に確認されているもっとも古い五芒星の用法は、紀元前3000年頃のメソポタミアの書物の中に発見されているそうです。

またもう少し時代が下がったバビロニアでは図形の各側面に前後左右と上の各方向を割り当て、それぞれ木星・水星・火星・土星、そして上に地母神イシュタルの現れとされた金星を対応させたそうです。

※参考「ウィキペディア フリー百科事典」

西アジアで起こった五芒星に五惑星を対応させる考え方は、その後ヨーロッパにも受け継がれているので、同じ頃の東アジアである古代中国で同じような宇宙観があっても不思議ではありません。

そして、この「五芒星」でもっとも大切なのが「金星」となります。なぜなら、古代人は夜空を観測することで金星の軌道が「五芒星」を描くことを知っていたからです。

☆☆☆ 金星と五芒星 ☆☆☆

太陽を中心とした惑星の軌道上で金星は地球より早く巡り1.6年ごとに地球を追い抜かすので、金星は8年間に5回地球と出会います。その出会う場所を順番に線で結んでいくと軌道上に五芒星を描くと言われています。

ですから「金星」を頂点として他の四惑星を当てはめた形で「☆」型が「星」を象徴するようになったようです。

そしてここが大切なのですが、頂点とされる金星は地母神イシュタル、イシス、ヴィーナス、マリアなど古代の女神信仰と深い関わりがあった事です。

なぜなら「五芒星」は人型を意味し、人を産み落とすのは女性であるからです。万物の母を崇める信仰ですね。

hitogo.JPG

残念ながら、この女神信仰は初期の段階で男性原理主義に置き換えられ「五芒星」は人や自然界の形ある物を支配するシンボルとしてヨーロッパ・アジアで広く使われるようになりました。

☆☆☆ 人体や自然界を支配する「5」☆☆☆

この「5」という数字が、人体や人と関わる現象にとても有効に作用することを古代の人々は知っていました。

なぜなら、人体は常に「5」という奇数に支配されているからです。頭・両手足の五体、五本の手足の指、五感など・・・。

また五芒星は幾何学の世界でも、黄金分割やフィボナッチ螺旋という、人体や自然の形(松毬、オウムガイの殻、渦状星雲など)、つまり自然界の様々なところに内在するスパイラルを導く普遍的図形とも言われています。

frasen.jpg

<五芒星系から求められる四角形と黄金分割で自然界に普遍的に現れるフィボナッチ・スパイラルが現れる>

※この辺はとても面白いのですが、難しいので興味のある方はネット等でお調べください。人体とスパイラルに関しては久司先生が詳しいです。


五芒星形を基本とする中国の五行思想も、このような「5」という数字に潜む神秘的な感覚に裏打ちされていたものと考えられます。

それでは次回は、陰陽説の図形的解釈を見て五行説との比較検討してみたいと思います。

<えぇ〜まだ続くの!>

【マクロビオティックに五行説は必要か?シリーズ】
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2006年10月15日

マクロビオティックに五行説は必要か?B

引き続き五行説について見てみたいと思います。

■五行説の歴史と謎

さてこの五行説、どうも判り難い…。まずなぜ「木火土金水」という5つなんだろうということで、五行説の歴史をもう少し詳しく見て行きたいと思います。

「中国まるごと百科辞典」より

@紀元前2070年から始まる夏王朝の聖王、禹(ウ)は洛水からはい上ってきた一ぴきの亀の甲羅に書かれた文様(洛書)から五という数を悟り、国を治めるのに五つの基本原理を思いついた。

A禹が定めた五行というのは、「水は土地を潤おし、穀物を養い、集まって川となって流れ、海に入って鹹(かん:しお)となる。火は上に燃えあがり、焦げて苦くなる。木は曲ったものも真直ぐなものもあり、その実は酸ぱい。金は形を変えて刀や鍬となり、味は辛い。土は種を実らせ、その実は甘い」というもので、禹はこのように、『木火土金水』と五つの『味』、五行五味の調和を政治のプリンシプルとした。

B紀元前800年から始まる斉の時代になって陰陽家鄒衍(すうえん)によって、五つの惑星と結びつけられ、さらにまた万物に当てはめられて、観念的な五行説として完成した。


さて、確実に文献に現れるのはBの頃なので、@Aはあくまで伝説でどこまで信憑性があるかわかりませんがAに見られるように五行の始まりは「木火土金水」という自然現象に「五味」を当てはめたことにあったようです。

木=酸 火=苦 土=甘 金=辛 水=鹹(かん:しお)

率直な話、私はどうも五行の「木火土金水」を純粋なエレメント(要素)としてはどうもピンとこなかったのです。

水、火、土、木(植物)はなんとかエレメントとしてイメージできるのですが、どうも「金」だけはイメージできない。なぜなら、「金」は自然ではなく「形を変えて刀や鍬」とあるように、人間の力が加わらないと成り立ちません。

ですから、五行説の始まりは「農耕文化・鉄器文化」との深い関わりがあったことがAをみてわかります。つまり、4つの自然のエレメントに人の要素を加えた「5」だったとすればやっと五行説を理解できるのです。

もう一つの疑問は、「木=酸 火=苦 土=甘 金=辛 水=鹹(かん:しお)」という五行と五味が自然な感覚として結びつかない。

だって、塩辛いの塩であって水ではないし。甘いのは穀物であって土ではない。まして金が辛いなんて想像も出来ない・・・。

「木火土金水」がそれぞれ人の食べ物を生むことはわかるのだけど、どっちにしろ「金」は「辛い」にはどうも無理がある。

そんなこんなで私の結論としては、「斉の時代になって陰陽家鄒衍(すうえん)によって、五つの惑星と結びつけられた」とありますが、どうも古代の初めから「木星・火星・土星・金星・水星」という五惑星の観念があったのではないかと思うのです。

そして、この五惑星という観念にある種無理やり、諸現象を当てはめようとしている感じがするのです。

次回はそんなところに論点をもって行きたいと思います。

※一見五行説批判みたいになってしまってますが、決してそうではありません。五行説の有効性は後でちゃんと示しますので、東洋医学に従事する方々、気を悪くしたらごめんなさい!

【マクロビオティックに五行説は必要か?シリーズ】
@無双原理と陰陽説
A陰陽五行説とは?
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Fまとめ

2006年10月13日

マクロビオティックに五行説は必要か?A

前回は桜沢如一が、どうのような経緯でマクロビオティックの根本理念である「無双原理」を打ち立てたかを検証しました。

では、「陰陽五行説」に焦点を当ててみましょう。

■「陰陽五行説」とは?

陰陽五行説は、中医学や風水、陰陽道など中国の思想体系の中心を成す原理ですが、元々は前出の陰陽説とは別に五行説という別個の理論あり、徐々に結びつき、春秋・戦国時代に統合体系化されたそうです。

陰陽説とは、前回に触れました伏羲に先立つ「易」の二元論です。

五行説とは宇宙は5つの基本元素「木火土金水」で成り立ち、それぞれが相生・相剋するという考え方で、一説には伏羲がいた伝説の時代が終わった紀元前2070頃から始まる夏王朝の聖王禹(ウ)がつくったといわれます。禹の治世のときに洛水からはい上ってきた一ぴきの亀の甲羅に書かれた文様から五という数を悟り、国を治めるのに五つの基本原理を思いついたとう伝説があるそうです。

gobou.jpg


ここからが私の疑問なんですが、何で「陰陽という2元論」と「五行という5元論」が結びつくのかということなんです。

陰陽説はとてもシンプルでわかりやすいのですが、これに五行説が結びつくと途端に判り難くなる印象があります。そもそも何で「5」なんだろうという素直な疑問があります。

陰陽説の根本原理は「太極→両儀→四象→八卦」、つまり「0(1)→2→4→8」という世界観です。

yonsyou.JPG


つまり、四象という「4」元素ならとても判り易いのですが、なぜ「+1」の「5」なんだろうと混乱してしますのです。

これは単純に私が「易」を中心に考えているから混乱するのだそうです。なぜなら「陰陽五行」という考え方はむしろ、五行を活かそうとした思想だったようです。(陰陽説との折衷案みたいな・・・)

つまり、万物は「木火土金水」の5元素がらなっているのが前提で、その5元素は天上の見えない根本エネルギーである陰と陽から生成されるというように、「易」の四象八卦はあまり重要視しないみたいなのです。

むしろ易的な「陰陽説」と五行を基本とする「陰陽五行説」は別物の考えた方がよさそうです。

<つづく>

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2006年10月12日

マクロビオティックに五行説は必要か?

さて、今回のサトル・マクロは 「マクロビオティックに五行説は必要か?」というテーマで考えてみたいと思います。

よく、マクロビオティックを勉強している人に「どうしても陰陽五行説がわからない」と言われるのですが、私は「マクロビオティックに五行説は必要なのかなぁ?」といつも疑問に思っていました。

そもそも、なぜマクロビオティックに「陰陽五行説」が取り入れられているかと言うと、3つの理由があると思います。

@久司道夫先生のマクロビオティックの理論体系に取り入れられているから
A大森英櫻先生が「4つの体質と中庸」という形で五行説を取り入れているから
Bマクロビオティック=東洋医学の体系として捉えられる傾向にあるから


さて、私は主にマクロビオティックとは桜沢如一先生の理論体系の影響が大きいので、あまり五行説というものを考えてきませんでした。なぜなら、桜沢先生は「無双原理」という陰陽二元論としてのマクロビオティックしか提示していなかったからです。

私見で、穴だらけではありますが無双原理(陰陽二元論)と陰陽五行説についての考察をしていきたいと思います。

■マクロビオティックの根本理論「無双原理」とは?

「無双原理」とは言うまでもなく、宇宙を構成する二つの拮抗するエネルギーを陰と陽と呼び、全ての現象をこの陰陽で説明する原理を言います。

桜沢如一の「無双原理」は、もともと、明治の食養家石塚左玄の食養理論である「夫婦アルカリ論」の影響からきています。

石塚左玄はすべての食物には「ナトリウム」と「カリウム」の拮抗があり、この差によって食物の性質が決まるとしました。

それを受けて桜沢は、「ナトリウム」と「カリウム」を「陽」と「陰」に置き換えれば、食べ物だけでなく宇宙全般、地球、自然、人、社会、医学、物理学、科学、経済、芸術、人生、全てを説明する「最高の原理(二つとない原理)」となるのではないかと考えました。

これが近代マクロビオティックの始まりです。

そして、桜沢はその答えをまず中国の「易」に求めました。

■「陰陽論」または「易」

時は中国紀元前2700年ごろ 三皇五帝による統治された伝説的な時代がありました。その皇帝の一人伏犠(フツギ)が天の運行、世の動きなどから直感的に宇宙には相対する二つのエネルギー「宇宙万物は陰陽より成る」とし、陰陽二気から生まれる四象八卦で全ての現象を法則化することが出来るとしました。

これが後の時代「周」の頃、体系としてまとめられたのが「周易」に代表される「易経」だそうです。

もちろん、桜沢はこの「易」のことは充分知っていました。ところが、後の時代に編まれた「周易」及び注釈書は「『易』は広大悉く備わる(無双原理)」という原理をシンプルに説明してくれるものはどこにもありませんでした。

唯一「老子」が『道徳経』で一部を伝えているぐらいで、後は占いの手引書、64卦をもてあそぶ売ト(ばいとく)の易などと桜沢先生は言っています。(易者の皆さんごめんなさい!!)

そこで、桜沢先生は左玄の「ナトリウム・カリウム拮抗理論」と「伏犠のシンプルな陰陽論」そして、老子の『道徳経』を元に独自の「易」をまとめ上げました。

それが無双原理12の定理に代表される「無双原理・易」というマクロビオティックの最高理論だったわけです。

※無双原理の12の定理は、E古典マクロにおける五行説の必要性に参照があります。

<つづく>

【マクロビオティックに五行説は必要か?シリーズ】
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E古典マクロにおける五行説の必要性
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2006年09月24日

サトルマクロ的時空間覚書

WS000005.JPG

今日は時空概念のサトル・マクロ的な解釈にチャレンジしてみました。

分かりやすく書こうと思ったのですが、結局小難しくなってしまったので、興味がない方はお飛ばし下さい。

■なぜ私たちの世界には時間や空間が存在するのか?
■昼と夜の二元性
■二元性という幻想が、今の現実を作りだしている
■桜沢如一が願ったもの

本文はこちら

2006年09月16日

多次元マクロビオティック

夏も終わりやっと秋っぽくなってきた今日この頃、ふとこのブログを開いてみると季節に取り残された「海の家」のような寂しさを感じてしまい、思わずキーボードをたたき始めてしまいました(笑)

今日は、あるイベントのマクロビオティックの講演で、知人に質問されたことについてちょっと記述しておきます。

■マクロビオティックは矛盾している?

マクロビオティックは一方で「あれ食べちゃダメ、これ食べちゃダメ」と言っているのに、一方で「世の中の全ては陰陽で成り立っていて、一つとして無駄なものはない」と言う。一方で否定して、もう一方で否定してはいけないというのは矛盾しているのではないか?

まさに的を得た質問だなぁと思いました。
この問題は、多分「今のマクロビオティック」には「次元」という観念が抜け落ちているところに起因します。

これを海と人でたとえて見ましょう。

@海で溺れている次元
A泳ぎを学んでいる次元
B海の全てを受け入れ、泳ぐこともなく浮いている次元

例えば海で溺れている人に、
「全てを受け入れて、力を抜いて海に身を任せなさい」
といってもなかなかそうはできないでしょう。

海で溺れている人にはまず、泳ぎ方を教えてあげるのが得策です。それには一定の規則性と体の動かし方を学ばなければなりません。そこには「こっちに動かしてはダメ、あっちに動かしてはダメ」というような言い回しが出てくるかもしれません。

泳ぎ方をマスターしたら、その人はどこへでも自分でいけるようになります。その人は自分の望む場所へがむしゃらに泳ぎ続けるようになります。ここは嫌だ、もっと理想の場所へ行こうと。

しかし、どこへ泳ごうと海は海であることに気が付きます。

ここでやっと「全てを受け入れて、力を抜いて海に身を任かせる」次元に到達します。

「泳ぐこと」=「選ぶこと」=「今のマクロビオティック」を手放し、すべては陰陽の海と悟り、海と一体となること。

この次元でこそ、「否定」も「肯定」もない「中庸」の意識状態を実現することができます。

つまり、この状態も「マクロビオティック」(私はこの状態をサトル・マクロビオティックと定義しています)の範疇に入れるのであれば、Aの次元とBの次元には全く矛盾した言い回しができてしまうのです。

この次元もまた、陰陽の法則で成り立っています。

@「陰」→A「陽」→B「陰」

ですから、「溺れているのに気が付いていない人」と「全てを受け入れて、泳ぐことを手放した人」は同じ陰性を有しているので、この二人を「Aの陽性な次元」で眺めると一見同じように見えることもあります。

ただ次元が違うのです。

陰陽は横軸だけでなくて、縦軸にもあるのでしょうね。

ちなみにAの次元では「溺れているのに気が付いていない人」にわざわざ「あなたは溺れてますよ」と言いたくなってしまいます(笑)

でもBの次元になると、「溺れているのも全てその人の自由、もし泳ぎ方を学びたいなら教えてあげましょう」とその人の自由意思をまず尊重します。なぜならBの次元にある人は全ての人が「自由人」であることを知っているからです。

:ここで言う「次元」は人の価値としての高低を言っているのではありません。ですから@だから価値がないとか、Bだから偉いとかという事ではありません。色んな次元が同時に存在するから、私たちの世界は豊かで可能性にあふれているのです。全ての次元は神様が許しているからこそ存在する。どれを選んでいくかはその人の自由なのですね。これを「多次元マクロビオティック」とでも呼びましょうか(笑)

2006年08月12日

お米のサトルマクロ的考察B

さて、このテーマはどうも最近硬苦しくなっているので、今日は軟らかくお米を炊いて食べてみましょう(笑)

炊き立てのごはんはとても美味しいですね!

例えば、炊いたご飯を主食としている私たちと、パンやパスタ、麺などに加工された小麦を主食としている国々にどんなエネルギー的な影響の違いが生まれるでしょうか?

これは「ごはん」と「パン」の陰フィールドの違いを見てみると面白いかも知れません。

■お米と小麦のサトル・マクロ的違い

お米→ごはん
小麦→パン

これらのプロセスの中で、お米は収穫され、乾燥、脱穀(もしくは精米され)炊かれて私たちの口に入ります。

@収穫 A脱穀(もしくは精米)B水を加える C火で炊く D食べる

ではパンのプロセスを同じように見てみると、

@収穫 A脱穀・粉に挽く B水を加える C捏ねて形成する D火で焼く E食べる

ここでのごはんとパンとの大きな違いは、明らかに「捏ねて形成」というプロセスですね。
これは、単に一過程多いというような問題ではなく、人が「捏ね」「形創る」という行為は陰フィールド的に大きな情報のプログラミングということになりそうです。

つまり、私たちが小麦を食べる時、捏ねて形成する人のプログラミング(想念)と対話していることになります。

この結果、小麦を主食としてきた欧米では、個々人の個性を重視したコミュニケーションによって成り立つことになります。

小麦は様々な人の情報を陰プリントするので、様々な創造性豊かな形のパンやパスタや麺などに変化します。
小麦という神様からの贈り物と、それを加工する二次的創造主(人)、そしてそれらの惠を享受する人々…。
欧米の方々がキリストを通してのみ神様とつながることが出来ると考えたのも小麦が主食だったからかも知れません。


一方ごはんはどうでしょう。

「捏ねて」「形成」するという行為(プログラミング)が挿入されないので、ごはんはごはん以外にあまり個性はありません。

全国どこへ行ってもごはんの形は変わりません…。

これは日本人の個性がないといわれる民族意識の形成に影響を与えたかもしれません。(欧米人にとって見ればですが)

「違い」という個性ではなく、「同じ」という無個性を大切にする傾向でね。「和」を尊ぶということにもつながります。

お米という神様からの贈り物、そしてそれらの惠をそのままの形で享受する人々…。

一体日本人にはどんな役割があるのでしょうか。












2006年06月24日

お米のサトルマクロ的考察A

■「0」とは選択されていない状態、無限の可能性

さて、前回の考察で「米」という図形には「0」や「8」がシンボライズされていると考えました。

では、ここでもう少し「0」(ゼロ)という数字の概念を突っ込んで考えてみましょう。

「0」とは何も無い状態を表しますが、もし本当に何も無い状態であればわざわざ形象化する必要がありません。

「0」(ゼロ)とは何も無い状態であり、且つ全てを含んでいる状態を示します。

つまり、プラスマイナス0(ゼロ)という状態は、完全にプラスとマイナスが均衡状態にあり、全く動きが無いので私たちには捉えることができない状態を意味します。

私たちが住む3次元世界では、プラスとマイナスの誤差があって初めて五感として認識できるのです。


以前にも同じような図を使いましたが…

+-.JPG

左=「0」の状態、全く動きが無いので私たちは見ることが出来ない。
右=+と−の差がある状態、動きがあるため私たちの五感で確認することができる。


■陰陽の誤差があるからこの世に存在できる

もちろんプラスマイナスを陰陽に置き換えることが出来ます。

桜沢如一は「無双原理の12定理」の(8)で

「一物といえども中性なるものなし。必ず陰陽多寡あり」

と言っていますが、この世(3次元、物質の世)では陰陽の多寡(差)がないと存在できないことを意味しています。

つまり完全な中性(陰陽が均衡状態)では、この世の物質として存在できません。
これは逆に、あの世は完全な中性の世界であることも示しています。(笑)


この世=物質の世界…陰陽の多寡がある不均衡な状態が、様々な動きを生み出すダイナミックな世界(有限の世界)
あの世=エネルギーの世界…陰陽が完全に均衡状態で、動きの無い静寂な世界(無限の世界)


■たまご(種)=「0」の形象

皆さんたまごを思い浮かべてください。

たまごは完全にエネルギーが均衡状態の「0」を象徴します。
ほぼ全ての「たまご」(種)といわれるものは、動物性であろうと植物性であろうと「0」の形をしています。

そのたまごが割れる状態(芽を出す状態)を、つまり均衡状態が破られることを「生まれる」と言います。

「種」という「0」は選択されていない状態=∞無限の可能性を含んでいます。(この世に生まれていない状態)
それに対して「成長」とは無限の可能性から一つ一つを選択していくことを意味します。ある意味、可能性(無限)を限定(有限)していく状態の象徴でもあるのです。

種としての「お米」を食べる意味は、「無限の可能性」というキーワードとして次回は読み解いてみたいと思います。

<続く>
いつんなったらコメが出てくるだぁーとお怒りの皆さんもう少し待ってね!

inyou.jpg

太極図は陰陽差「0」のエネルギーの均衡状態を表す









2006年06月17日

お米のサトルマクロ的考察@

さて、久しぶりのサトルマクロのコーナーです。

今回は「お米」についてのサトルマクロ的考察をシリーズで綴ります!

■ゼロポイントとしての種

ではいきなり、サトルマクロらしく幾何学と漢字から入ってみましょう(笑)

56.JPG

himizu.JPG

『火』という漢字の各点を結ぶと、上記左は五芒星を形成します。同じく『水』の各点を結ぶと、上記右の六芒星を形成します。これは「5」が火の時代、「6」が水の時代を象徴します。私たちは今「水の時代」に居るとも言われています。

では「6」以上はどうでしょう?

78.JPG
hikari.JPGkome1.jpg


「7」をあらわす七芒星『光』。私たちがこれから目指すところですね。そして「8」をあらわす八芒星はなんと『米』〜(コメ)!?え〜お米の時代がくるの〜。

あわてないあわてない

『米』という字は、おコメそのものをあらわしてるのではなく、エネルギーの中心性を現しています。つまりエネルギーが均衡状態を保った「0」(ゼロ)の状態です。

では、なぜ「8」が「0」になるかと言うと、「8」の上下端をつまんでくるりと左右逆方向に回してください。

80.JPG


はい「0」に戻りました(笑)
つまり「0」と「8」は表裏一体なんです。

私たちは常に「0」から始まり、「8」で再び「0」に戻る…。
そして「8」を通過することで次元の上昇を経験します。

つまり「0」も「8」もすべてを内包する種をあらわしています。

ゼロ、無、無限、∞(インフィニティー)

この種である「0」と「8」がお米に象徴されていることはもうおわかり!

ではまた来週〜


2006年05月05日

とってもサトルマクロ的♪

「設計図を創れるのは神様と人間だけ?」という記事にトラックバックを
してくれた「のんびり日記」さんの記事がとてもサトル・マクロビオティック
を理解するのに役に立つので紹介します。

まずは
「母の持論(?)サトル・マクロビ」というお話をご参照。

なるほど〜!!「伸びよう」とする春の植物の成長点は、
その「増殖意識」をきっと増長してしまうんですね!
そうだったのか!


ん〜なんてサトルマクロ的解釈、素晴らしいです!


■成長→停滞(安定)→成長→停滞(安定) これが自然なリズム

植物に限らず、生物全般が芽吹く(生まれる)瞬間は
ある意味秩序を打ち崩して、爆発的に成長する時です。

人間の赤ちゃんもお腹の中では、ありえないスピードで
細胞分裂を繰り返し成長します。
これは言わば「陰性な」増殖波動といえます。

停滞(安定)という状態を打ち破ることが、次の成長へと
つながるのですね。

アスパラの穂先、わらび、ふきのとう、竹の子の穂先が
極陰性なのはこのためです。

しかし、その爆発的は初期成長も、時間とともに安定してきます。
おそらく植物は、その初期成長のまま成長し続けたら、
地球環境との調和を崩し、自己崩壊を引き起こしてしまうでしょう。

故に、植物は地球環境やその植物の生息する地域の環境と調和した
安定期に落ち付きます。


■春にわらび、ふきのとう、竹の子を食べる理由

昔の人は、冬に動くことはしません。
なぜなら、冬は停滞の季節であり、次の成長を準備する
休憩の時間だからです。

そして春になり、わらび、ふきのとう、竹の子などの成長波動
と同調し、停滞を打ち破り、活動期に入っていきます。

ところが、現代の人は近代的な施設とともに冬に停滞(休む)
することをしません。年中自己増殖しているわけですね。

つまり、そういう状況の中で更なる成長波動と同調すると、
今度は臨界点を越えて自己崩壊へと突き進んでしまいます。

これが「アスパラの穂先、わらび、ふきのとう、竹の子の穂先など、
とにかく、”春に芽のでる物の、先っぽには発がん性がある」
というエネルギー的な意味合いです。

だから、すべての人に“発がん性”があるわけではありません
のでご安心を。

それと、たとえガンになってもこの事に気づけば、すぐに消えて
しまいますので全く問題はありません(笑)


『のんびり日記』さんとても勉強になりました。ありがとうございます。
これからもブログ楽しみにしています♪



という訳で、今日の夕飯は竹の子煮てみました…

takenoko.jpg

    三之助の厚揚げと人参と昆布で。サクサクして美味しいですねぇ。

















2006年04月29日

すべての物に輝きを見つける人々

さて、前回の「時空間を超越する陰フィールド」の続きです。

「何を食べても影響の受けない人々は本当にいるか?」

この命題はサトル・マクロビオティックの主要なテーマでもありますので、
早急には結論はでません。

ベーシックなマクロビオティックにおいて、体の状態、健康や病気、そして
人生や運命までも「食べ物」が左右するとされます。

一方、サトル・マクロビオティックにおいては「何を食べても影響を受けな
い」ことがテーマになります。

これはまさに矛盾としか言いようがありません。

しかし、宇宙の本質は実はこの矛盾にあります。
これを「聖なる二分法」といい、どちらも真であるという「悟り」に到達する
ためのシステムでもあるのです。


■すべての物に輝きを見つける人々

身体の健康を保つ為には、という自然に育てられたリンゴとという農薬
まみれのリンゴがあったならば、生存本能としてAのリンゴを選ぶ能力は
生物にとってとても大切なことです。

おそらく、動物に二つのリンゴを与えたら、迷わずAのリンゴを選ぶでしょう。

一方人間は、動物以上の能力を有しています。それは、物質の「陰フィールド」に
アクセスできるという能力です。

<陽フィールドにおけるリンゴの状態>

Aのリンゴ…輝ける命を表現している状態。
Bのリンゴ…輝ける命を表現できていない状態。

<陰フィールドにおけるリンゴの情報>

Aのリンゴ…輝ける命、輝きを援助する情報
Bのリンゴ…輝ける命、輝きを阻害する情報

この「陰フィールド」にアクセスするパスワードをもっている人が「何を食べても
影響の受けない人々」ということになります。

つまり、この人たちはどんな食べ物を食べても、その背後(陰フィールド)
の頂点にある「輝ける命」を頂いていることになります。

おそらく、この人たちは、「食べ物」だけでなく、どんな「人」に出会っても
その人がどんな状況にいても、例えばくすぶっていようが、落ちこぼれてい
ようが、その人たちの背後にある「輝ける命」を見つけていきます。

そして、その人の「輝ける命」にフォーカスすることによって、その人の
実際の状況にはあまり影響を受けないことになります。

食べ物は物質以上のもの、人間は肉体以上の存在。

これを知ることがサトル・マクロビオティックの真髄になりそうです。

それには「陰フィールドにアクセスするパスワード」こそが重要になります。
果たしてそれは、どんなパスワードなんでしょうか。





















2006年04月20日

時空間を超越する陰フィールド

ba1.JPG
さて、今日は上の図を二つのリンゴだと思って見てください。

これが私たちが実際に見ている「陽フィールド」の世界です。
陽フィールドにおいて、のリンゴは明らかには独立した二つの固体と見えます。

では、ここで、この二つのリンゴにお馴染みの「陰フィールド」を当てはめて見ましょう!

ba2.JPG


「陽フィールド」において、分離していたというリンゴが、「陰フィールド」では、緩やかにつながっていることがわかります。


■陰陽フィールドのおさらい

<陽フィールド>
―特徴―
陽性、求心的、物質的、局所的(一元性)、時空間の制約に影響(いつか壊れる)、観測可能性

―物理学―
量子力学における明在系、超ひも理論における4次元まで

―スピリチュアリズム―
オーラに対する実体、目に見える体、仏教における「色」

<陰フィールド>
―特徴―
陰性、拡散的、波動的、非局所的(多元性)、時空間を超越する(永遠性)
観測不可能性

―物理学―
量子力学における暗在系、超ひも理論における6次元以上

―スピリチュアリズム―
実体に対するオーラ、エネルギー体、目に見えない体、仏教における「空」

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つまり、実体として、明らかに独立しているAとBというリンゴは、
エネルギー的な陰フィールドでは同じ情報を共有していることになります。

そうです、見えない世界では明らかにつながっているのです。

これは一見荒唐無稽に思われるかもしれませんが、「陰フィールド」の特徴
である、時空間を超越して拡散する情報系がなせるわざなのです。


■何を食べても影響を受けない人々

マクロビオティックを実践していると、何を食べても影響を受けない人々が
信じられなくなってしまいます。

私も、昔はそんな人々を「今はいいけどいつか病気になるよ」なんて、とってもネガティブなことを思ってしまったりしていました(泣)

でも、この陰フィールドの構造がわかり始めると、自然とそれが納得いくようになりました。

つまり、例えばAが自然農法で作られたリンゴ、Bが農薬まみれで作られた
リンゴとします。

陽フィールドでのみでリンゴを捉えていると、私たちは明らかにAのリンゴ
にはいい影響をうけ、Bのリンゴには悪い影響を受けてしまいます。

ところが、陰フィールドという高い次元では、AのリンゴもBのリンゴも元をたどれば、同じ情報を共有していることになります。

つまり、「何を食べても影響を受けない人々」は陽フィールドのリンゴではなく、
陰フィールドの高次の情報としてのリンゴを頂いていることになります。

こんなことが可能なのでしょうか?

なぜそんなことが可能になるのかは、次回検証いたしましょう!





2006年03月26日

設計図を創れるのは神様と人間だけ?

さてティーカップは設計図がなければ成り立ちませんが、設計図がなくしても自然に成り立っているように見えるものもたくさんあります。

宇宙や地球、自然界の諸所、人間の体…。

でももうおわかり、これらもDNAなどに代表される設計図がなければ成り立ちません。
つまり神様が作った大宇宙、大自然の設計図…。


神様が創った設計図は常に「アル」ものということで「ア」のコトダマになります。
人間が創った設計図は常に「イル」ものということで「イ」のコトダマになります。

二つのコトダマを並べて読んでみて下さい。これが私たちの目指す道です(笑)


この観点からいえば、私たちの世界は人間を超えた神様が作った設計図(自然界)と人間が独自に作った設計図(人工物)に基づくコラボレーションということに成ります。

人間ってそんなに凄いの?

そうスゴイんです。世界中の神話には、「神はその御姿に似せて人間を創った」と伝えられていますが、人間は唯一神と同等な創造の力を与えられているのです。

つまり、陰(イン)フィールドをコントロールする力を持っているということです。

動物にはこれができません。ですから、神が創った自然界の中でしか生きられませんし、まして地球を破壊する力もありません。

人間には地球を破壊する力もあります。まして、人体なんて簡単に破壊できます。
陰フィールドのプログラミング如何では…。破壊も創造の力なのです。


■病も創造のカラクリ

現代の病の代表“ガン”を考えて見ましょう。

「自然な細胞で構成される人体組織は常に「アル」ものです。
それに対して人体組織の調和を欠いてしまう異常な細胞とは?」

同じ命題を地球に置換えてみます。

「自然な生物で構成される地球組織は常に「アル」ものです。
それに対して地球組織の調和を欠いてしまう異常な生物とは?」

ガンという細胞は、人間に創造力が与えられている一つの証明になります。
つまり、自らのインフィールドにプログラミングして、常に「アル」設計図を改変していけるということです。もちろんそれが行き過ぎれば自らを破壊してしまうのですが…。

「全体の調和を欠いてまで自己増殖しようとする意識」

例えばこういうインフィールドの意図(プログラミング)があれば、それを実現するために陰陽の調和の欠いた食物や生活環境が自分に集まってきます。それを栄養として活動する細胞はやがて“ガン”と呼ばれることになります。

これは、実はティーカップの成り立ちと全く同じシステムなのです。

逆に言えば、このプログラミングを変えれば、あっという間に現実も変えられるということ…。これが私たちの目指すナチュラルマジックなんです。

<前回の記事>
「ティーカップの成り立ち」

2006年03月25日

ティーカップの成り立ち

さて今日はこのティーカップの成り立ちを考えてみましょう!

cup.jpg

このティーカップ、一体何からできているでしょう。
このティーカップをティーカップならしめている要素はなんでしょうか?

それは単純にいって原料、土であり、水であり、絵の具などでしょうが、
サトル・マクロビオティック的にはもう少し大きな視点で現象を捉えます。

さて、「原料=ティーカップ」でしょうか?

そう、原料を正確に並べてみてもティーカップにはなりません。

そうです、この原料をティーカップに仕立てる「力」が必要です。
土を溶かす水の力、土をこねる力、形を形成する力、焼く火の力、乾かす風の力…。

自然の力はすでに用意されています。あとは捏ねたり、形付けたりする人力。
そこで職人を用意します。

さて、「原料+自然の力+職人の力=ティーカップ」になるでしょうか?

いや、まだティーカップは現れません。

「どうしてなんだ」と職人に聞いてみます。
職人は「だんな、いったい何を作れっていうんですか…」


これが今日のテーマ、ティーカップをティーカップならしめている最大の要素は
実は、「それを作りたいという意図」「こういうものを作りたいというイメージ」…。
これがなければけしてティーカップは成り立ちません。


意図やイメージ=設計図

内在する設計図、つまり「IN(内)」=陰(イン)フィールド


これが「イ」のコトダマ遊びです。意図(イト)、意志(イシ)、イメージ、インスピレーション、陰(イン)性、IN、これらは外に見える物質に対して、内在する設計図が存在する陰性フィールドを現した音です。

これを図式化するとこうなります。

tea.JPG

※いつも同じような図ですみません(笑)

→外枠四角が陰フィールド(設計図)
→緑の円が自然の力
→茶色い丸が原料が固まったティーカップ
(私たちにはこれしか見えません)

確かプラトンはこれを「イデア論」という哲学として主張しましたが、これは哲学論議でも何でもなく、単なる事実、当たり前の現実(システム)なのです。

なぜなら、誰かがこのティーカップの設計図を意図しない限り、このティーカップが私の前に現れることは50億年待ってもありえないからです。
見える現実は常に見えない現実を波動というエネルギーとして内包してしています。

※後日検証しますが、物理学の超ひも理論はこの現象を数値化しようとしてます。時代はそこまで来ているのですねぇ。


で、これがマクロビオティックと何の関係があるかというと次の展開にまいりましょう!

<続きの記事>
「設計図を作れるのは神様と人間だけ?」

2006年03月18日

マニアのためのマクロビオティック

■サトル・マクロビオティックとマクロビオティックは何が違うの?

「サトル・マクロビオティック」と「ベーシックなマクロビオティック」は本来、どちらもマクロビオティックと言えます。ではなぜ、わざわざ分けるかというと、それは単なる私の趣味です(笑)

桜沢如一の宇宙観の根本は、「見えない無限性(陰)の世界」と「見える有限性(陽)の世界」の二元性にあります。(前提条件)

つまりこの根源的な二元性を扱うのが「サトル・マクロビオティク」です。

そして、桜沢はこの「見えない無限性(陰)の世界」を扱う前に、私たちは「見える有限性(陽)の世界の陰陽二元性」をまず学ばなくてはならないと言っています。

この、二元性を扱うのが、「ベーシック・マクロビオティック」です。

※わかり難いので、得意の図で攻めます。

nigensei.JPG


<上部の二重丸>

見えないエネルギーと見える物質の二元性を扱うサトル・マクロは言わば、「陰性なマクロビオティック」です。

<下部に並んだ丸>

見える物質の両極性を扱うベーシック・マクロは、言わば「陽性なマクロビオティック」となり、主に食べものに代表される物質の陰陽を扱います。


■サトル・マクロを学ぶには、まずはベーシック・マクロビオティックの理解と実践が役に立ちます。

食べ物や物質の調和が取られると肉体レベルでの陰陽が調和し感情が安定します。そうすると、今度は思考レベルでの陰陽の調和が起こり、思考のコントロールができるようになります。

左脳的(陽)陰陽の調和です。(「巫女と審神者」の記事を参考にしてください)

この段階でかなり、物質次元での陰陽をコントロールすることで楽しい人生を送ることが出来ます。

ただこのShcoolは、マニアのためのマクロビオティックしか発信していませんので(笑)この段階でのベーシックなマクロビオティックの解説や実践の仕方を扱っていません。

そこで、今回は基本的な陰陽理論や食べ物における陰陽を解りやすく解説しているおすすめサイトをご紹介します。


◆そもそもマクロビオティックって?

櫻海リサさんが発信するメールマガジン
『マクロビオティックで広がる食の深層世界』

◆マクロビオティクの基本的な陰陽理論を学びたい!

マクロビ・パパ氏のブログ
『マクロビ・パパの奮闘記』
※特に「guide of macrobiotic」を参照。

お2人とも、とても解りやすくマクロを解説するマクロビ界の若手のホープです。ぜひ参考にしてください。

2006年03月12日

日本が世界に誇るスピリチュアル・マスターU

sakurazawa.jpg

日本のスピリチュアリズムに大きな影響を与えたのが、
マクロビオティックの創始者「桜沢 如一(ユキカズ)」(1893〜1966)



桜沢如一と言うと一般には、玄米菜食を基本とした食事法の
創始者として有名ですが、私は、日本で最初にスピリチュアリズムを
確立した人として捉えています。

そもそもスピリチュアリズムとは、霊学や神秘学とも言われ
ヨーロッパでは盛んな運動です。
日常では捉えられない霊的真理に関する正しい知識を広め、その真理に
かなった生き方を普及させるための学問や運動で、シルバーバーチ、
シュタイナー
などがその代表と言えるかも知れません。


日本では「霊」という言葉がとてもいかがわしく捉えられ、
明治以降の合理主義で過度な宗教性への嫌悪感が誤解を生んでいますが、
霊的な真理とは本来は神が創られた大自然と宇宙の法則のことをいいます。


宇宙の普遍の法則を知り、その法則にそった生き方の中に
永遠性をみつける。



これがスピリチュアリズムの本質ですが、桜沢はこれらの宇宙の法則を
近代的な視点で捉え、宗教性を極力拝し一般的な感覚でも理解できるように
日常の事象や食生活に応用し体系化を試みました。


日本は元々「神道」というスピリチュアリズムの古典ともいうべき体系が
残っている世界でも稀な国です。そういう意味では、宗教家の中には
大本教の出口王仁三郎(1871〜1948)などの霊学の巨人は出てきましたが、
やはり世界や現代の日本にも大きな影響を与えていること考えると
桜沢如一という人物は特異な存在だったと言えるかもしれません。


■見えない世界と見える世界の真実を探ることがスピリチュアリズムの目的


この「見えない」世界が無限の世界であり、神であり、大宇宙、大自然であり、永遠
なるがゆえに、無限なるがゆえに有限の世界の親であることを信じたのであります。
「見えない世界」は「不思議な世界」で、時間と空間を超越した「無量寿」「無辺光」
太極の世界であり、神の世界、真理の世界であり、無限の世界であり、無限なるが
ゆえに精神や、夢や、死や、空や無や虚や実在などという無限の世界と同一である
ことを知ったのであります。

『宇宙の秩序』桜沢如一著(1941年 日本CI協会刊)より



日本が世界に誇るスピリチュアル・マスターを2人紹介しましたが、面白いですね
臼井甕男(ミカオ)の「ミカ」は大天使ミカエルに桜沢如一の「如」は如来と対応
しています。
大天使ミカエルも如来も高次元のエネルギー体で地球の進化をサポートしている
見えない存在ですので、2人がその使命に答える形で活動していたことにはとても
深遠な意味があるように思います。

<関連記事>
「日本が世界に誇るスピリチュアル・マスターT」










2006年03月11日

陰陽ボール遊び

WS000002.JPG


今日は陰陽ボールで遊びましょう!

まず上の図をイメージしてください。
もし棒が完全なバランス状態にあればボールは動きません。
私たちは、全くの動きを感じない「静」の世界、もしくは「無」の宇宙、始まりの
直前にいると思ってください。


WS000001.JPG


一瞬のうちに棒が傾きました。
完全なバランス状態から不完全な不均衡の状態への移動です。
陰陽の誕生です。

陰陽とは2点間のズレを記述する為のツールです。
ボールは動きます。ダイナミックな私たちの宇宙の始まりです。
「動き」が生じれば、空間(距離)が生じ同時に時間が生じます。

私たちは相対的な両極性(ズレ)を見ることで自分というものを知りえます。
つまり他者(自分とは違う)が誕生することで、初めて自分を認識すること
ができるのです。


そして進化は続きます。
様々な陰陽の混合で、世界は複雑化し二元性を把握し難くなります。

上の左図をそのまま180度回転させます。
そして、棒も陰陽もとぱっらて見ましょう。

すると下に動いていたボールが今度は上に動いていくように見えます。

陰陽とはどこから見るかで全く違う動きに見えますが、宇宙の本質が見えなく
なってしまった人たちは、「ボールは上に向っているのだ」「いや下に向っている
のだ」と議論し始めます。

争いが始まります。

どちらが正しいかと言う聖戦です。

WS000000.JPG


結局争いでは何の解決もしないことにみんな気が付き始めます。
つまり、陰も陽も同じ一つの違う側面なのだということを。

ここでやっと円形のモデルが提示されます。
私たちは結局、陰と陽、善と悪、光と闇、男と女を両方経験することで成長します。

ところが私たちの世界では、その二点を同時に経験することはできません。
陽を経験している時は必ず陰が対立するというように…。

解決は視点の移動にあります。
右図の直線上の視点から、円のふちまで視点を移動します。

私たちは肉体次元(物質次元)とつながりながら、「静」(心)の視点を手に入れる
ことができます。

「動」であり、「静」である宇宙の誕生です。
静寂を内包したダイナミックな宇宙。これを「宇宙の進化」と言い
中庸な宇宙の体現です。


私たちが今経験していることはここに至るための完全なプロセスなのです。
だから安心して様々な現象を体験しましょう!



※右の図は直線的な物質次元の視点から円形(循環)的な心的次元への視点の
移動をモデル化したものです。
直線上では陰陽は対立しているように見えますが、円状では陰陽は循環している
ことがわかるようになっています。
ちょっと面倒かも知れませんが、これはナチュラルマジックを起こす上でとても
大切なモデルですので、心にとめておいてください。


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